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お待たせしまくって申し訳ない。
拍手ありがとうございます。
では下からどうぞ。
襖の襖の向こうから声がかかった。
「入れ」
答えると燈心からすっと伸びた灯りがゆら、と揺れる。襖が開いたのだ。
失礼いたします、と膝を進めた女の姿をちらりとだけ見て、黒鋼は面白くもなさそうに文机へと意識を戻した。
好きなだけ暴れまわっていた白鷺城の忍の頃と違い、領地の運営や政策を考えねばならない今の身が時折歯がゆくなるが、それも己の責務だと言い聞かせている。
とはいえ、不得手だと感じることも事実だ。おまけに他人の気配が控えている。一向に去らぬ気配に黒鋼は怪訝な視線を向けた。
黒鋼の視線を受けて、お仕着せの衣に身を包んだ女が盆を恭しく差し出した。この夜半にうっすらと化粧を施しているのが灯りに照らされて分かる。
「御酒でございます。…巫女様からご領主様へと」
つけ加えられた言葉に、黒鋼の手にした料紙がぐしゃりと歪む。
この夜半、化粧を施した女を差し向けられる意味が分からないわけがない。近習や侍女頭あたりの気をまわしがちなあたりからの差し金だろうと見当づけていた。
だが、女の口からははっきりと巫女の名が出た。諏倭で今、巫女と呼ばれるのはたった一人しかいない。
どこか遠くで、糸の切れる音を聞いたような気がする。
褥に横になったはいいものの、一向に眠りの気配が感じられないファイは幾度も寝返りを繰り返していた。
板敷の床に一段高く設けられた畳は貴人にしか許されないもので、異国渡りの人間には破格の扱いだ。巫女として特別な配慮がされていることを知っている。寝台と違う、その畳独特の柔らかさと硬さに今ではすっかりと慣れてしまっている。
それでも、今のファイには少しも安らげるものではなかった。
唇から零れるのは重苦しい溜息ばかりで、ちっとも眠れそうになかった。
白湯を所望しようにも、いかにも黒鋼と昼間の女性のことを気にかけていることが知られてしまうようでバツが悪い。
俯せてぎゅっと掛け布を握りしめた時、ずかずかとこの時間にはふさわしくない荒々しい足音が響くのをファイの耳は拾った。
「あれ?」
武人の常か、普段は聞き耳を立てていてもそうと拾えないほどに気配を消して歩く相手だが、歩調の正しさは独特だ。荒々しい中によく訓練されているその歩みの正しさを聞き取って、ファイは身を起こした。
どこへ向かっているかなど、聞く間でもなく足音ははっきりとファイの居室を目指している。
余計なことをした、と怒られるだろうか。そう考えて首を竦めた。
がらり、と断りは一切ないまま、黒鋼はファイの寝所の襖を開けた。これがいつもなら傍若無人な振る舞いをからかったのだが、今はさすがにファイの分が悪い。
無言の黒鋼から怒りの気配がひしひしと伝わって、思わず逃げ場を探してしまう。
「おい。どういう真似だ」
淡々とした口調だからこそ、本気の怒りが伝わる。
反射的にごめんなさい、と言ってからファイは慌てて付け足した。
「あの、オレが相談したんだ。黒様が…その……奥さん探ししてないから、どうしたらいいかな、って。跡継ぎがいないと諏倭の人たちも困るよね、って。だから…」
「黙れ」
一言で切り捨てられて、ファイは押し黙る。本当に嫌われてしまったのではないかと、ぎゅっと膝の上で拳を握りしめた。
だから、黒鋼の行動に意識が全くついていかなかったのだ。
赤が飛び込んできた。
そんなことを思ったのは、間近に黒鋼の瞳が迫っていたからだった。
苦しい、と思ったのも。熱い、と思ったのも。容赦ない力で抱きすくめられ、唇を奪われているからだと気づけたのはその後だ。