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書ききれなかったネタは本にするときにまるっと詰め込みます。
長々とお付き合いありがとうござました。
拍手ありがとうございます。
では下からどうぞ。
日本国のじめじめとした梅雨が過ぎ去ると、今度は太陽が容赦なく照りつける夏が訪れる。
中天にぎらぎらと輝く白い光を見上げながら、ファイは一人で家の中を片付けていた。
周りを緑の木々に囲まれた山の中の小屋は、夏場を思ったよりも快適に過ごせる。
生い茂る梢に日光は遮られ、その凶暴な光と熱を地面までは届かせない。
すっかり乾燥した薬草を仕分けて、他にすることもなくなったので、ファイは桶を手に持ち近くの沢まで水を汲みに行くことにした。
今日明日あたり里の子どもたちが遊びに来そうなので、草餅でもこしらえておこうと考える。
体が完全に回復するまで、ファイは白鷺城に留まっていた。
体力を取り戻してからも月読はファイを城にいても構わないと引き留めたが、この場所に戻ってきたのはファイの一存だ。
唐突に姿を消した自分を村の人間がどう思っているかはしれなかったが、元よりファイは流浪の人間だ。
居辛くなったらなったで身の回りのことさえ片付けて、最後に別れを言えばそれで事足りる。
自分の暮らしていた山小屋に戻る、と告げると黒鋼は盛大に苦い顔をした。またファイが逃げ出すと思ったのかもしれない
そうではなく、本当に自分が黒鋼の傍で暮らすためにはやはり本人にも周囲にも準備がいるだろう、と説明したのだが素直には頷いてくれなかった。
この国についてからの自分たちの経緯を考えるとすんなりと飲み込めることではなかったかもしれない。
「恋女房を逃がすまいと必死なのでしょう」と天照が茶化したことに反論したのを、月読に揚げ足をとられるように言い負かされたのでなければ黒鋼とファイの応酬はもう少し長く続いていただろう。
思い出すと笑いがこみ上げて思わず口元を押さえた。
見咎める人間がいるわけではないがこれでは不審人物だ。
思い出が蘇るたびに辛く、苦しい、そんな思いばかりに苛まれていたことが随分と遠い過去のことのように感じてしまう。
一旦城の外に出る、と言い出したファイに驚き引き留めたのは黒鋼だけでなく月読たちも同様であった。
だが流れのままにずるずると居座るような形になるのは憚られるし、何よりも黒鋼が面倒を見ていた母子のこともある。
ファイと黒鋼が共に暮らすことになればそのまま置いておくのも問題がないわけではない。彼女を長いこと黒鋼の妻だと思い遠慮していたファイにも、一度とはいえ主に伽を申し出た彼女にも、心情として複雑なものがある。
かといって黒鋼がすぐに母子を放り出すことの出来る人間でないのはファイも知っているし、仮にそうしてもそのすぐ後に自分が家に入ったのでは外聞が悪い。
話し合って、二人が黒鋼の元を出て暮らしていけるだけの準備が出来てから、黒鋼が白鷺城の郭の中に与えられた屋敷にファイも移り住む、ということで話がまとまった。
本当はもっと前から月読が黒鋼に城内の一郭に住まいを与えようとしていたようなのだが、城の外の方が何かと情報が入る、と今まで断っていたらしい。
後でこっそりと「オレを待ってたから?」と聞いてみたら、無言で髪をくしゃりと掻き混ぜられた。
それ以外に何がある、と言わんばかりの態度が可愛くて可笑しくて愛しかった。
元の小屋に戻るとすっかり城の忍者の思い人だという事実が触れ回られていて、ファイは驚くやら照れくさいやらだったのだが、日本国は性愛に関しては案外と大らかであるらしくファイの性別に関しても相手の黒鋼に関しても特に忌避するような人間はあまりいないようだった。
元からただの流れ者ではないと思われており、白鷺城との縁故もすんなりと信じてもらえた。
どうやら忍の思い人が城の内部の揉め事から一時的に追い出されることになったか、身の危険から姿を隠すために山にこっそりと逃げ込んで暮らしていた、と里の人間には思われているらしい。
想像力の豊かさに苦笑しながらも、事実として揉め事から逃げ出したのはさして変わらないので噂はそのままにしておいた。
術の解けた髪の色には皆が一様に吃驚していたが、白鷺城の縁という威光のおかげか、既にファイの人となりを知っているからか、おっかなびっくりとしながらもそれを理由に迫害するようなことはない。
子どもたちはぽかん、と大きな口を開いた後に口々に「お月様みたいだ」と歓声をあげた。
子どもの無邪気さと尽きること無い好奇心は以前と同じように山道を駆け登ってファイの住む小屋へと遊びにくる。
医師の真似事をしながら呑気な山暮らしをしているファイの元に、子どもたちや里人以外にも訪れる人が増えた。
黒鋼だ。
たまに月読からの土産といって手に入りにくい菓子やら酒を手にしてファイの元へとやってくる。
ここいらでは滅多に見ることの無い上級忍者の姿に、ファイの金髪を見たとき以上に吃驚していた子どもたちだが、面倒見の良い大人というのは嗅覚で分かるものなのだろう。
珍しい菓子のおかげもあって、子どもたちの大半があっさりと懐いて今では剣術の真似事をする男の子も増えた。
本人は「子守は得意じゃねえ」と言っているのだが、傍からみていてそれがただの照れ隠しなのだと分かる。時々はしゃぎすぎて拳骨をくらう男の子がいるが、次に見たときには笑顔でいるのだからやはり本人が思う以上に好かれているのだ。
ファイの口元に浮かんだ笑みが少し深くなる。
水を桶から水瓶に移し替えていると、なんだか里からの登り道の方が騒がしくなってきた。
どうやら草餅が出来上がる前に遊びに来てしまったらしい。
甲高い子どもたちの声に混じって、低いが良く通る声がファイの耳を打つ。
とくん、とひとつだけ鼓動がはねた。
(ここに着いたら皆で一緒に草餅を作ろう。そうして出来上がりを待つ間に子どもたちの大好きなお話を幾つもしてあげよう)
いつか結末を忘れてしまった、と嘘をついた魔術師の旅の終わりを、今ならばちゃんと話せるはずだ。
賑やかな声が近づくのにファイは待ち切れなくて小屋の引戸を開けた。
ひと際背の高い男の姿に自然と微笑が湧き上がる。
場にそぐわないかもしれないけれど。ずっと待たせ続けた自分がこんなことを口にするのはおかしいのかもしれないけれど。
ファイの唇から溢れた思いは、黒鋼に真っ直ぐに向かっていく。
おかえりなさい。