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多分黒たんは子煩悩。
でも息子とはスムーズにやり取りできても、娘だとどう扱っていいものか悩みそう(笑)
拍手ありがとうございます。
では下からどうぞー。
息子が廊下で固まったままぽかんと自分の顔を見つめて、挙句に唐突に泣く寸前の顔になってしまったので、実のところ黒鋼は大いに焦っていた。
ひょっとしてここのところ何かと立て続けて領主としての仕事に追われていたために、父親の顔を忘れてしまったというやつだろうかと内心慌てる。
笑い話でなく、遠征に出かけている間に幼いわが子に顔を忘れられ、帰って顔をみた途端に知らない人扱いで大泣きされるという配下の忍や兵は少なくない。
父親としてはなんとも遣る瀬無い話である。
泣かれるのを覚悟した黒鋼だったが、予想に反し、息子は一目散に廊下を走って黒鋼の足にしがみ付いた。そこで堰が切れたのか、わんわんと大泣きを始めてしまったのだが。
黒鋼は数日の間、館をあけて領地の境目の視察に赴いた。
諏倭の地は貴重な薬草の茂る場所も多く、魔物以外にも不心得者に荒らされぬように警戒を怠らない必要がある。
と言っても巫女の結界は堅固であり、今回も何事もなく領主の率いた手勢は無事に館へと帰還した。
それぞれが厩に馬を繋いだり、身についた埃を落としている間をぬって黒鋼は侍女たちの出迎えを受ける。
いつもならば真っ先に出迎えるはずのファイの姿が無く、侍女頭にどうしたのか聞こうとした矢先だった。
泣きじゃくる息子を抱き上げると、ぎゅっと全身全霊で父親の首にかじりついて一層泣き声が激しくなる。
困惑しながらも黒鋼は息子の背中をさすってやりながら、侍女頭に尋ねた。
「あいつはどうした?」
「それが…」
聞けばファイは黒鋼たちが視察に出たすぐ後に暑気あたりをこじらせ風邪をひいたらしい。
小さな息子にうつしてはいけないとなかなか顔を合わせることもできずにいたようだった。
幼いなりに両親の責務を理解しているのか、息子は随分聞き分けのよい子どもだった。
けれども、さすがに父親が不在の最中に母親とも顔をろくに合わせられないのでは心細くて仕方がなかっただろう。
留守居の侍女たちが不自由なく世話をしただろうが、それでも両親の代わりにはならない。
小さな体に溜め込んだめいっぱいの我慢が、父親の姿を見て途端に爆発したのだ。
ひっくひっくと泣きすぎてしゃくり上げる拍子に喉を詰まらせるんじゃないかと黒鋼は心配になる。
泣きすぎてとうに涙は出なくなったらしいのだが、侍女たちが「ご領主様もお着替えなさいませんと」と言って息子を抱き上げようとすると、父親と離されるのを嫌がってまた泣きだししてしまう。
いい加減泣き止ませないと息子の呼吸がどうにかなってしまいそうだと黒鋼は思った。
「若様、お父上が着替えをされる間だけですから。ね」
侍女が優しく促すのにも激しく抵抗する息子の顔は涙やら鼻水でぐしゃぐしゃだった。ずっと大泣きしていたから、額にも大粒の汗がいくつも浮いている。
それなのに、小さな体で一生懸命父親にしがみつく力だけはけしてゆるまない。
ぽんぽん、と背中を軽く叩いてやりながら、黒鋼が侍女頭に風呂を沸かしているのかと聞いた。
領主が遠出をした帰った時には汚れを落とすためにいつも湯の準備がされている。今日も既に湯浴みの支度は整えられていた。
「ついでだ。こいつも一緒に入れてくる」
ぐすぐすと泣きすぎてぐったりしている息子をあやしながら、黒鋼は浴室へと向かった。
涙や涎で散々な顔になっていた息子を洗ってやり、自分の体もざっと洗う。
水は貴重なため、風呂といっても大抵は蒸し風呂が一般的だ。
こうしてなみなみと湯船に水を張った風呂があるのは公共の浴場か、ある程度大きな家になる。無論領主の館には広めの湯船があった。
一緒に湯に浸かっているうちに、泣きすぎて疲れていた息子の首は段々と傾いていく。
のぼせさせないようにと風呂から上がり、換えの着物を着せた頃にはすっかりと寝入ってしまっていた。
館の中で一番風通しの良い部屋にファイは寝かされていた。
昼でも夜でも、心地よい風が吹き抜ける室内は吹き込んできた緑の香りがする。
なるたけ音を立てないように襖を開けた黒鋼だったが、ファイは眼を覚ましていたらしくすぐに顔がこちらへと向けられる。
「お帰りなさい」
「ああ」
「ごめんねえ、こんな格好のまんまで」
そう言いながら体を起こそうとしたファイを黒鋼が押しとどめる。
「無理に起きるな」
「うん」
横たわったままのファイがへにゃりと眉を下げた。
「泣いてたねえ」
どうやら息子の泣き声はここまで聞こえていたようで、駆けつけることも出来なかった母親は情けなさそうな顔をした。
「全然構ってあげられなくて、可哀想なことしちゃったなあ…」
「そう思うんならさっさと治せ」
ぶっきらぼうだが、その声には労わりが滲む。ファイは小さくうん、と頷いた。
「今日は一緒に寝てあげてねー」
「ああ」
黒鋼はファイの額に手を当てた。熱はないようだ。
「早く治せ」
もう一度、そう声をかける。
元気になったら、今度は二人で息子の添い寝をしてやろうと思いながら。