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このお話はとりあえずこれで一段落。
番外編でちび黒たんの耳としっぽが好きで好きでしょうがない双子を書くかもしれません。多分書く。
拍手ありがとうございます。
では下からどうぞ。
あれは一つ星と呼ぶのだ、と幼い自分に教えたのは母親の声だったのか。
夜空に輝くその星を黒鋼は仰ぎ見た。
一つ星、子の星、と歌うように囁く遠い声に、別の声が重なる。
『――ステラ・ポラリス。極の星だね。船に乗る人も、歩いて旅する人も、皆この星を標にするんだ』
柔らかく、どこか甘い声が二つ。耳の奥に蘇る。
『本当はちょっとだけ動いているんだけどね。でも大丈夫。少し揺らぐことがあっても、けして見失うことはない。いつもいつも目印になってくれる』
ふわふわと軽やかな声が耳から心臓まで伝って体の隅々まで満ちていくようだ。
最後に見た赤く煤けたように焼かれた故郷の空は、黒鋼が再び足を踏み入れた時、その記憶の全てを掻き消すように美しい紺碧を湛えていた。
まだ幼い苗木や、芽吹いたばかりの小さな緑。
荒れ果てた名残は住む者が未だにいないことだろうか。人の気配の無い土地は、寂しく、そして昔の争いが嘘のように穏やかだった。
完全なる人の姿でありながら、この地を訪れた黒鋼が何者か分かったのであろう巫女は、この土地を鎮魂の地と呼んだ。
かつて黒鋼の故郷に攻め入った者たちも、争いのすぐ後に同じように別の部族によって滅ぼされたという。この地に安寧がもたらされたのは、巫女の姉が一帯を治め始めてからだ。
女帝の統治の元、獣人と人、二つの種族が共に生活し始めてからもこの地に人が立ち入ろうとしないのは、この地に流された血の多さ故ではないという。
優しい地なのだ、とまだ幼い姿の巫女は黒鋼に告げた。
「とても、優しい気配に満ちておりますわ。住んでいた方たちが、この土地をどれほど愛し愛されていたのか、大事になさっていたのか…。
嘆きや悲しみよりも、この地はもっと多くの優しさや慈しみを覚えております。
…だからこそ、鎮魂のための祈りをささげる場所となるのです」
父や母。そして郷の民の陵墓は日当たりの良い一角に丁寧に作られていた。あたりでは小鳥が囀り、兎が黒鋼の姿を見つけて慌てて叢へと逃げていく。
幼いころ、父の膝の上で見た景色が戻って来たようだった。
もうずっと戻ることもなかった故郷。そこに並ぶ墓の一つ一つに黒鋼は手を合わせた。
巫女は、黒鋼が望むのならばこの土地の守り人としてその帰還を受け入れても良いと言った。郷愁がないと言えばそれは嘘になる。
けれど答えはするりと黒鋼の口をついて出た。
「いや。家族が待っているんだ」
空に輝き続ける星を地上から仰ぎ見る。
一つ星、子の星、極の星――。
けして見失うことはない標。帰るための目印だ。
黒鋼は木の根元にごろりと横になった。
星空を屋根にして、明日からの家路に思いを馳せる。
黒鋼は一つだけ息を吸い込んだ。昼間よりも少しだけ冷たい空気が肺を満たす。
これから帰る場所はそれよりもずっとずっと冷たい場所だ。
一年の半分以上は雪に閉ざされ、太陽の光はいつも鈍いばかりで木々や花の色を忘れそうにもなる。
けれど、そこで待っている家族がいる。
行ってらっしゃい、と自分を送り出した笑顔を二つ、思い浮かべた。
あの笑顔のある場所に、帰るのだ。