[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
拍手ありがとうございます。
では下からどうぞ~。
ぼそぼそと低い声がする。
生乾きの髪をタオルで押さえながら浴室から出てきたファイは、携帯に耳を押し当て、なんとも気まずそうな顔をする黒鋼と目が合った。
いつものはきはきとした声とは裏腹に、歯切れの悪い声で応対する黒鋼の姿に、もしかしたら聞いてはいけない電話の類だろうかとファイは首を傾げた。
そうしてそっと部屋を出ようかと考えたところで、少し携帯から顔を離した黒鋼が唐突に声をかけてきた。
「お前年末年始どうする?」
「はいー?」
質問の意味がわからなくて、ファイの声も疑問調になる。
珍しく黒鋼が言いづらそうに口を開いた。
「おふくろが…予定ないならお前連れて来い、と」
「…おかあさん?」
「ああ」
「黒様先生の?」
「ああ」
「…」
「…」
「いっ…、行きます!」
思わず敬語で答えた。
黒鋼と籍を入れてひと月と少し。騒ぎのどさくさついでにファイの保護者と黒鋼は互いに顔を合わせらしいが、黒鋼の両親への挨拶となるとこれが初めて会うことになると気がつく。
ドラマチックと言えば聞こえはいいが、実際には非常識の塊のような結婚経緯に今更にファイは自己嫌悪に陥った。
思えば黒鋼の生い立ちも家庭環境も何も知らない。
黒鋼本人がべらべらと自分のことを話す人間でないこともその理由の一つだが、それでもそのご両親をほったらかしにしておいたも同然の事実は失礼すぎる。
「どうしよう~」
冬休みも半ばに入り、黒鋼の受け持つ部活も本格的に休みを迎えた日。黒鋼の運転する車の助手席でファイは打ちひしがれていた。
顔を合わせる前から、こんな不義理をしでかして嫌われたらどうしよう。
ぐるぐるとばかりを朝から呟いている妻に黒鋼が呆れた声をかける。
「俺が結婚するのは知ってたんだし別に怒ってやしねえだろ」
「だって16歳の小娘と結婚したなんて親御さん知ったら黒様ロリコンだと思われちゃうよ~」
「さんざん人に結婚しろと迫ってきたお前が言うな…」
旦那様の眉間の皺が深くなった。
高速で渋滞に捕まった間に、ファイが作ってきた弁当を食べた。
小さめのおにぎりと魔法瓶に入った熱い緑茶。野菜のみじん切りがたっぷり入った卵焼きや山椒で風味付けした唐揚げは運転の合間に手で抓めるようにとあらかじめ楊枝がついている。
「あのね」
ちっとも前に進まない車の列だけが視界に入る中、ファイの声が車内にぽつんと落ちた。
「オレが黒様に結婚してって言ったのは、黒様が好きで好きでそれだけしか考えてなかったしそれでいいと思ってたの…。でもちょっとずつ落ち着いてきたら黒様のお仕事とか立場とか、オレのすっごく面倒な財産のこととか…、本当はいっぱい考えないといけないことがあったんだなって思った」
黒鋼は黙ってファイの独白を聞いてくれている。
「でも、いっぱい大変なこととか面倒くさいことがあるけど、もうそれで諦められないくらい好き」
好きで、離れるなんて考えられなくて。だからこそ湧き上がる不安がある。
こんなに幼いのが息子の嫁で頼りない、挨拶一つも満足に出来ない出来の悪い子だって思われたらどうしよう。
「好きな人のお父さんとお母さんだから嫌われたくないよ」
へにゃりといつもの元気をどこへ置き忘れてきたのか、そんなファイの頭を黒鋼の大きな手が撫でた。
些細な仕種。たったそれだけのことで安心してしまう。
「おふくろが電話してきて俺にまずなんて言ったかわかるか?」
「?」
「嫁さん独り占めするな、自分も娘に会いたい」
「娘?」
「お前だろ」
意味が咄嗟には飲み込めなくてぽかんと呆けるファイだったが、徐々にその意味が浸透してきて頬に薄っすらと赤みが差した。
「オレ…娘、なんだぁ」
不安が全て払拭されたわけではない。けれど、それ以外の嬉しさと恥かしさが胸のうちに灯される。
ファイにはあまり家庭というものの記憶がない。
保護者のような後見人はいたけれど、黒鋼との生活が初めて手に入れた『家庭』だった。
そして、黒鋼の家族に『娘』だと呼ばれる。
その戸惑いが喜びから来るものだということにさえ戸惑って、俯いたファイの頭を黒鋼はずっと撫でていた。