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リクエストありがとうございます。
楽しそうvv
拍手ありがとうございました。
では下からどうぞ。
数度ほど、前と同じ忍や違う忍がファイを尋ねてきたけれど、結局、ファイが脅威である、という事実は見出せなかったようだ。
監視は密かに続いているが、それも四六時中のことではない。以前と同じようにひっそりと暮らしていけばいずれは終るのだろう。
だが、ファイは黒鋼の屋敷辺りをふらつくのを止めた。
術で姿も気配も消している。それでも万が一、彼に累が及ぶかもしれない、と考えるとそればかりは耐えられそうになかった。
周辺を探られてすぐに姿を消せばそれも怪しまれる。すぐにこの国を去ることも出来ない。
いい訳じみた理屈だと分かっていたものの、ずるずるとファイは居座ってしまっている。
里の子どもたちの相手をしながら、夢路で自分に背中を向ける男の姿を幾度も突きつけられて、飛び起きる。嫌な汗と、涙でぐっしょりと濡れた頬に、ようやく自分は今一人なのだと安堵して朝を迎える。そんな繰り返しだった。
悪夢でも、それでも構わないのだと思って、夢の中の背中を思い出す。
振り向いた顔にもし拒絶の色が浮かんでいたらと思うと怖くて、今はもう背中だけでいいのだと自分に言い聞かせた。
彼の顔を忘れ、声を忘れ、背中さえも見えなくなったら。
そうしたら――。
多分、一人で生きていくのだ。
月読の指示に対して忍軍は目ぼしい成果もなく日々だけが無為に過ぎていた。
苛立ちも限度を越えると疲労に変わる。そもそも忍軍や兵の仕事はそれだけではない。月読の結界があるとはいえ外敵や魔物の襲来がなくなったわけではないのだ。
二、三ほど不穏分子が行動を起す前に阻止できたことが幸いといえば幸いか。
そろそろ長雨の季節に差し掛かり、気候の変動が激しくなる。時節の変わり目は気の流れも普段と異なるものか、魔物の動きも予想外のことが多い。
名目上幾人かの忍を束ねる立場になったせいか、黒鋼は煩わしい報告に頭を悩まされることが増えた。
月読の結界の中心でもある白鷺城やその周辺は当面の魔物の襲撃は心配していないとは言え、唐突なこととはいえ、何故か魔物の発生は同じような時期に相次ぐのだ。
既に小物は何匹か出現している。
今は小隊を派遣するだけで済んでいるが、これが集団で現れるとそれなりの規模の編成を組まなければいけない。そうなった時に城が手薄なのでは困る。
自分一人動くだけの方が確実なのだ。なにより気楽で簡単だがそれだけで片付く話ではない。
卜占の役目の者ならば気の淀みや流れを理に沿って理解できるのだろうが、生憎と黒鋼のような忍は肌を刺すような空気として察知できることはあってもごちゃごちゃとした理屈は理解の範疇外である。
自分の経験として、母親が体調を崩しやすかった時期と魔物の出現時期が重なっていたことをおぼえているので、そろそろそんな頃合かと思い至るのだ。
日本国における巫女は月読だけではない。彼女を筆頭に術者が何人もおり、時に月読の代行として勤めを行うことはある。魔物に荒らされた土地に新たに結界を張り、日本国の遍く地張り巡らされた結界の維持も彼女らの仕事だ。
けれどその力量が到底月読の力に及ぶことがないことも、黒鋼は知っている。彼の母親もまた、一つの領土を守る巫女だったのだから。
故郷では彼女を凌ぐ魔力の使い手はいなかった。
月読とは比べるべくもないが、白鷺城に上がり母や月読以外の魔力の使い手とされる巫女たちを見たが、やはり他と比べても母の巫女としての力量は優れていたのだと、改めて思わざるを得なかった。
そもそもが結界を張ることの出来る術者の絶対数が少ないのだ。
優れた術者、優れた戦力。どちらも喉から手が出るほど欲しいものだが、欲しいと言ってすぐに用意できるものでもない。
魔力を有していても、それが結界を作り出すことには向かない性質のこともある。実際に黒鋼は今までの人生の中で片手に入るほどに強大な魔力を有しながら、治癒魔術だけ使えない魔術師を知っていた。
他には何でも出来たのだ。出来ないことを上げる方が少ないくらい、実に器用に何でも出来た相手だった。背中を預けて全力で戦うことが出来た相手は他にいない。
今にして思えば、随分助けられたことが多いように思う。
そのくせ、不器用でちぐはぐな人間だった。
今頃どこにいるのだろうかと思う。
そんなことを考えて、黒鋼は思い当たった。会いたいのだ、と。
結局山の中に住んでいるという蒼い瞳の男に怪しい動きなかったと報告を受けた。他にもそれ以上にきな臭い人間が多数いたせいもあるが、気まずそうに部下が告げた隠遁生活の理由は、それ以上込み入って聞くにはあまりにも野暮だった。
弱い、と以前の黒鋼ならば一笑にふしていただろうが、今ならば分かる。
どうしても、記憶から消せない相手、忘れられない人間、というのはいるのだ。
それが望んでも、望んでも、傍にいられないのならば尚更に。