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2009年6月17日(水) AM1:00~AM6:00
僕だけのかみさまの続きです。
誰ですか、八話くらいで終るといいな、なんて言ってたのは。はーい。…orz
この前後数話を元々一話で、と考えていたのですが、予想外に伸びて今私の首がいい感じに絞まってます。
拍手ありがとうございます。
では下からどうぞ。
カラン、とグラスの中で氷が崩れる。
知らずに零れたため息の重さにファイは自分でぎょっとした。
黒鋼と顔を合わせるのが気まずくなってから、自分の部屋にいる時間さえも持て余すようになってしまっている。
ファイのように水商売をする人間の仕事明けに合わせて、早朝まで営業をしているバーで時間を潰しては、最低限の体力維持のためだけに寝に帰るようなものだった。
良くない兆候だとは思っている。
けれど、ファイは自分で思っていた以上にショックを受けていて、それをどう回復させればいいのか分からないのだ。
今までだって傷つくことは何度もあった。
けれど、いつもいつも自分を慰めてくれた掌には、もう頼れない。
逃げるように飲み干したアルコールが喉を灼いたけれど、酩酊感には程遠く自分の意識から逃げることさえも叶わなかった。
あと少し距離を保ち続ければ、以前のように親しい隣人に戻れるのかもしれない。
けれど、動き始めた自分の心がそれだけでは満足できないのをファイはとうに知っていた。
未練がましく相手の好意が先へと進むのを期待してしまう。そんな可能性は微塵もないと分かっているのに。
いっそ、相手に嫌われきってしまえばいいのだろうか。そんなことすら考える。
彼が嫌悪するような自分になって、全て見捨てられてしまえば、少なくともこれ以上期待することはないのかもしれない。
自暴自棄な思考ばかりがぐるぐると巡る。
部屋に早く帰りたかった。
黒鋼とまた笑って話せる生活が欲しかった。
部屋に帰りたくない。
だってこれ以上進めないから。
予想以上に早く、その日は訪れた。
部屋に主がいるのを見計らい、ファイはその扉を叩いた。
さすがに他に聞こえると気まずい話なので、扉の内側に入ることを希望したが、玄関から先へは上がらない。
黒鋼が怒るのを承知で、ファイは厚みのある封筒を彼に差し出す。
「なんだこれは?」
思わず受け取った黒鋼の怪訝そうな声は少し苛立っていた。
およその中身が想像できたのだろう。
「慰謝料兼口止め料、かな?」
端的に答えたファイの声に黒鋼の眉間に皺が寄る。
黒鋼の怪我の原因となったファイを襲撃しようとした男と、ファイの店が交渉した結果だった。
かつてファイと交際し、上司の娘との結婚を機に別れた後、男に何があったのか。今更知りたいとも思わないが、我を忘れるほどには未練があったのだろう。
だが、全ては彼自身の行いが招いた結果だ。
既に過去となった男に法的に措置が取られようとも社会的に制裁が下されようとも、ファイはどうでも良かったのだ。
それでも金を受け取ったのは、彼のしでかした事態を詫びながらも、世間体や面子のために既に公にしてしまった結婚を取りやめることも事件を表沙汰にすることも出来ない上司やその娘が必死に頭を下げる様を、これ以上は見ていたくなかったからでもある。
それは無様で滑稽だった。
たかがホスト一人のために正気を失うほど散々入れあげた男を、どうしてそうまでして庇い、底入れしなければいけないのか。
それでも、彼らが彼らの対面を保つためには必要だったのだろう。
「お前はそれでいいのかよ」
黒鋼の声は明らかに怒っている。
充分な罰を受けることなく、償いを「金」という形にしかしない加害者への苛立ちなのか、それを易々と飲んだファイへの苛立ちなのかは分からないけれど。
「オレはいいんだよ」
ファイが感じていたのは怒りよりも憐れみだった。憤るだけの価値もない。
金で解決しようとしか考えられない発想も。それに頼るしかない男の立場も。
金で買われる、自分も。
全て、愚かで、滑稽だった。
「これはあの人たちの安心料みたいなものだからー」
黒鋼が憮然とした表情でファイを睨みつける。
納得していないのだろう。そんな真っ直ぐな、真っ当な彼の心根が愛おしくてならない。
「だから一番被害を被った黒様が受け取ってもいいんだよ」
「俺が喜んで受け取るとでも思ってんのか」
愛おしくて、愛おしくて、そんな自分が消えて無くなってしまいたかった。
「思わない。
…でも今の君には必要なものだから」
発する一語一語が、彼を汚していく気がする。
黒鋼が掌を握り締めているのがファイの目に入った。
きっと、自分のしていることは黒鋼の自尊心を傷つける。
それが正当な理由であっても、彼が誰かから金品を恵んでもらって喜ぶような性格でないことはよく知っていた。
知った上で、自分が彼から離れる理由にするために、その方法を選択したのだ。
無言の黒鋼に、じゃあね、と言って背を向けた。
「待てよ」
逃げ出すような背中に黒鋼の声がかかる。それだけで催眠術にかかりでもしたように、ぴたりと体の動きが止まるのが不思議だった。
しばらくの逡巡の後、黒鋼が押し殺したように低く言った。
「受け取った分は後で返す」
どこまでも生真面目な男だった。
いいのに、と呟いたファイの声を遮るように扉が閉まる。
無性に苛立たしい。
黒鋼はレポートやテストが一区切りつくや否や、急いでバイトを始めた。
それは掛け持ちのあまりに過密な仕事内容に友人たちから心配の声が上がるほどだった。
生活費のためでもあったし、嫌な記憶を少しでも頭の中に留め置かないようにするためでもあった。
ファイから手渡された封筒には黒鋼が数ヶ月懸命に働いて、ようやく手に出来るような額が収まっていた。
あまりに腹立たしくて、それには一切手をつけていない。
生活が厳しくて、幾度か使ってしまいたい誘惑に駆られたが、その度にファイの顔を思い出した。
黒鋼が喜ぶとは端から思っていなかったのだろう。
その上で黒鋼に渡したのだ。
黒鋼の怪我を負い目に感じているファイが金銭を渡したことも、金で解決しようとした加害者の意図も、本当は全部ふざけるなと怒鳴りつけてやりたかった。
けれど、被害を受けそうになったファイが金銭での解決を是としたのなら、黒鋼にそれ以上口を挟む余地はない。
このところはバイトで一日中家を開けているので、ファイとはもう随分と顔を合わせていない。
渋々受け取った金を早く叩き返してしまいたかった。
自分が何に苛ついているのか、それすらも分からない。
せめて仕事に集中している時だけはそんなことを忘れられるから。
ぐったりと疲れて眠り、起きて働く。黒鋼はそれだけを求めて毎日を繰り返した。
部屋に帰り着いたのはとうに日付も変わった頃だった。
自分の足音だけがやけに響く。
街灯の明かりを頼りに古いタイプの鍵で部屋の扉を開けると、荷物の入ったバッグを肩から下ろした。
早く熱いシャワーを浴びてさっさと眠りたい。
そう考えながら手探りで部屋の電気のスイッチを探した時だった。
何か、が聞こえた。
押し殺したような、泣き声のような。小さな音。
薄い壁の向こうから聞こえるそれが何なのか理解した瞬間、黒鋼は体中の血がすっと冷えたように感じた。
時折高く短い声が上がる。
考えるよりも早く黒鋼は暗闇の中、敷きっぱなしだった布団に潜ると息を潜めた。
もとより狭い部屋なので、どこに何があるか迷うこともない。
そんなことよりも今は、早く現実から遠ざかってしまいたかった。疲れた体が一刻も早く眠りを引き寄せてくれるのを願う。
ファイが男と付き合っていたことも知っていたし、その頃に薄い壁越しに情事の音を漏れ聞いたことだって何度もあったことだ。
それなのに。
今、何故こんなにも衝撃を受けているのかが黒鋼が理解できない。
女のように喘ぐ声が、途切れ途切れに聞こえる。
薄い夏蒲団ではたいして音を妨げる効果はなかった。
ファイが同性とキスすることもセックスすることも、今までだって当然のようにあったことで、自分には理解の及ばぬ世界だと割り切っていた。
それでも。
『黒様』
いつだって黒鋼を呼ぶファイの声は柔らかかったから。
それが当たり前のことなのだと思っていた。