[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
誤字脱字の指摘はよろしくー。
リアルタイムで酔っ払いです。
では下からどうぞ。
ファイは水洗いした大根を手に困り果てていた。
何故かと言うと…。
「青玉太夫!頼むから私のところへ来てくれ!必要ならばお前の身請けにかかった倍…!いいや、言い値をあの男に渡そうっ!」
かつての馴染み客が目の前で土下座していた。
大店の店主でかなりファイに入れあげていた。それが仕事だったしファイのおねだりの一つや二つで傾く身代でもなかったから、今更罪悪感などはないがファイが困り果てたのはそれだけではない。
今日は大根の煮物を作ろうと思っていたのだ。
大根を煮込む前に米のとぎ汁で一度茹でておかないといけないから、早く仕込んでおかないと黒鋼の帰りに間に合わない。
どうしたものかと嘆息する。
「三好屋さん…オレは自分の意思で身請けされたんですよぉ。
今の旦那さまと離れる気なんてないし…、離れちゃうのは嫌だし…」
ちなみに相手を諭しながらの惚気だと本人は気がついていない。
だが、恋に血迷った男はそんなことなど耳に全く入っていないようだった。
「わ、私ならばお前にどんな贅沢でもさせてやれる!
こんな粗末な着物をきてあばら家に我慢して寝起きしなくてもいいんだ!
辛い家事だってしなくて…っ、見なさい、白魚のような手がこんなにボロボロじゃないか。可哀想に…!
私の元にくれば美しい着物を着てただ座っていてくれるだけでいいんだよっ」
そう言ってファイの手をぎゅっと握り締めたのと、男が吹っ飛ばされるのは同時だった。
「あ、お帰りなさーい。黒様」
途端にファイの眼からは黒鋼以外の何もかもが遮断される。
それは黒鋼も同様らしく、自分がたった今拳で吹っ飛ばした男の姿など視界にも入っていないようだ。
「おう」
「ごめんねー、ご飯まだなんだぁ」
「…構わねえ。俺も帰るのが早かったしな」
そのまま「手出せ」と横柄な態度で言う黒鋼に不思議そうにファイが手を差し出す。
大根はちゃんとざるに入れた。
懐を探っていた黒鋼が小さな包みを取り出すと、おもむろにその包みをとく。興味深深で見つめていたファイの眼に現れたのは小さな陶器の入れ物だった。
黒鋼は無言でその蓋を開けると、中の乳白色の軟膏をファイの手に塗りこんだ。
「…?黒様?」
きょとんとした顔でファイが黒鋼の名を呼ぶと、黒鋼は気まずそうに視線を逸らした。
けれど、ファイはもう知っている、黒鋼のそんな仕種がただの照れ隠しだということを。
「…手、荒れてただろうが。
水仕事に良いっつー油薬が売ってたから…お前が使えばいいだろ」
ぼそぼそとそんな風に言う黒鋼を一瞬ぽかんと見つめた後、ファイは破願する。
「…ありがと…、嬉しいなぁ…」
互いに仄かに頬を染め、大根を入れたざるを手に粗末な家の中に消えていく。
男の存在を互いに綺麗さっぱり忘れたままで。