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タイトルは「わんこ(躾済み)」か「餌付け済み」か迷いました。
拍手ありがとうございます。
更新頑張ります!
では下からどうぞ。
畳の香りも清々しい一室。手入れの行き届いた庭を楽しめるように、開け放された障子からは涼やかな秋風が吹き込む。
時折ふわりと薫る空焚きの香と落ち着いた調度品の配された部屋は上客をもてなすに相応しい。
居心地の良さそうなその部屋に通されていた黒鋼は心底帰りたい、と思った。
たかだか文書の使い。そこいらにいる臣下に頼めばよいだろうと思うのだが、送り主と受け取る相手が共に日本国の中枢に座する者とあっては、軽々しい扱いも出来ない。
ゆえに手練れの忍である黒鋼が使者を請け負うことになったのだ。
無論黒鋼本人が進んでそれを承諾したわけではなく、使者にもそれなりの格が必要、と説き伏せられてのことだった。
書簡を受け取ったのならばさっさと解放して欲しいのが本音だが、相手の世間話に付き合わされて辟易している。
かといって自分の主でもある姫巫女や帝について尋ねられて無視することも出来ない。腹芸は苦手だが、上っ面だけでも無難に受け答えする方が早く済むこととを経験上知っていた。
適当な相槌を打っているところで襖が開けられる。豪華なことに三方全てに萩の絵が描かれているそれは、おそらく季節ごとにその図柄を変えるという手間のかかるものだろう。無駄に贅沢な、と心中で考えた。
礼に適った所作で入室を願ったのは年若い娘で、美しい着物と形良く結い上げた黒髪に挿した簪が不自然なほどに綺羅綺羅しい。
「失礼いたします」
そう頭を下げる娘に、高官が相好を崩す。
「おお、入りなさい。
黒鋼これは娘の瑞穂と申す」
侍女ではなく娘らしい。
湯呑みと茶菓子を運ぶ手つきは一見どうということもないが、時々ぐらりと手が揺らぐ。常日頃は人にかしずかれるばかりで、そのようなことをしたことがないのだろう。
「粗茶でございます」と形通りの言葉で茶を差し出すその手が、緊張で危なっかしい。
間近で動く娘の袂のあたりから香が黒鋼の鼻をくすぐる。
どうにか作法に沿って黒鋼の前に茶を出した娘がにこりと笑って、入ってきた時と同じように頭を下げて退出した。
いつの間にか話が娘自慢になり始めた高官に内心でげんなりしながら、黒鋼はどう引き上げるべきか算段を練り始めた。
仮にも元は一領土の跡取り息子である。それなりに儀礼的な、あるいは形式的なやり取りというものにも慣れていた。
深読みしすぎならそれでいい。取り越し苦労であってもも、どれほどささやかであろうが懸念を残してしまうことの方が問題だった。
知世姫が知っていたのか、あるいは知らないでいたのか。
まだ秋である。だが、その日、白鷺城の一室では吹雪が舞っていた。
「前もってお断りもせず、本当にファイさんには失礼なことをしてしまいました」
この国の長たるは帝。その妹姫であり、帝以外に頭を下げる必要のない知世が深々と手を付いて頭を下げる。
その前に座っているのは碧眼の客人。
「お見合いですか」
魔術師の目は笑っていなかった。
非常に寒々しい空気がどこからともなく湧く。
慌てて知世の後ろに控えていた蘇摩がファイに弁解する。
「あの、姫様も何度も拒まれたのですが、いくら無理だと言っても聞かず…。それならば黒鋼本人に断らせるのが一番だろうということで…」
無論知世が乗り気でないことも悪気がないのは分かっている。相手の要求を完全に退けるためには本人の口から言わせるのは一番早いだろうことも。
かと言って黒鋼に「見合いに行ってこい」と言えばその時点で拒否されることは明確。しかも話が拗れれば、より騒ぎの大きい乱暴な方法での解決となるかもしれなかった。
ファイもそのことが分からないわけではない。
だが、心情的に「はいそうですか」と納得できる問題でもなかった。
第一黒鋼ならば断るだろうと分かっていても、この国で見合いとやらがどのように行われるかなど、具体的なことは一切知らないのだ。
知らない、ということは不安に易々と繋がる。
もし、万が一罠にかけられるような形で黒鋼とその相手とやらの見合いが成立してしまったら、そう考えると胸の奥が途端にぎゅっと苦しくなる。
仮定の話だけでそうなのだ。もし本当に、万が一があれば…。
心配に引きずられてどんどん暗くなっていくファイの表情に慌てたのは知世と蘇摩で、慌てて二人でファイを慰めにかかる。
「ファイさん、大丈夫ですわ。黒鋼がこの話を受けることは絶対にありませんもの」
「そうです!大体見合いの手順を知らなくとも、黒鋼であれば忍としておかすはずのない間違いですから」
「忍として?」
蘇摩の言い分が分からず、ファイが鸚鵡返しに問い返す。
反応があったことにほっとして、蘇摩はそうですよ、と力強く肯定する。
「ファイさんはお見合いがどのように行われるのかご存知ないのでしたわね」
頷いたファイに知世が掻い摘んで見合いの説明をする。
「領主や特に地位の高い人間同士の縁組であれば事前に双方の話し合いで決定していることが殆どですから、形式的な顔合わせ程度に過ぎません。
けれど一般的には相手の方とお会いして、好ましく思えば結婚の申し込みになりますし、嫌だと思えば拒否することも出来ますわ。
男性が相手の家を訪ねた際に女性本人が出したお茶を一口でも口にすれば了承、一切口をつけなければ断ったということになります」
忍として毒薬など仕込まれる危険性の最も高い、直接体内に入る飲食物への警戒は基礎も基礎。いくら日本国中枢の高官宅とはいえ、一人だけで乗り込んでいった状態で黒鋼が無分別にそれを忘れるわけもない。
そんな勝算もあって黒鋼には何も言わず行かせたのだという姫君に納得しつつ、ファイの不安はそれでも晴れない。
若干の安堵と、それでも拭いきれない不安でぐるぐるしながら何度も窓を見つめる魔術師の姿に、少し姫君の胸を罪悪感が刺した。
「今帰った」
眉間の皺がいつもより深い。機嫌の悪さは最高潮で、殺気にも似たおどろおどろしさに皆が道を開けていくが黒鋼はそんなことに頓着しない。
主を主とも思わぬ態度でじろりと睨む。
だが、何も言わずファイの傍にどかりと腰を降ろした。
「黒様?」
ファイは見合いがどうなったのか聞きたいが、どう切り出していいものやら分からない。
黒鋼はどうしようかとまごつくファイの様子を気にした様子もなく、不機嫌な声音で一言だけ要求した。
「茶」
普段ならそんな横柄な注文などしない。ファイもそんな態度を取られたら、何様ですかーと言いつつ頬を抓るくらいはやり返す。
けれど、今は。
「うんー、ちょっと待っててねぇ」
ほわりと微笑み、黒鋼の湯飲みを取りに腰を上げた。
ファイの姿が視界から消えたのを確認して、知世が黒鋼に尋ねる。
「何も言わないのですか?」
「言いたいことがあるならお前が言え。…俺は『何もなかった』」
何もなかった。
その一言に知世は目を見開き、全てを理解する。
「そうですか。何もなかったのですね」
ご苦労でした。そう言って頭を下げた姫巫女に忍はふん、と相変わらず不機嫌そうな態度をとるだけだった。
湯飲みの茶を一気に飲み干し、そのままファイの腕を掴んで帰る忍者を姫君は引き止めることなく笑って見送った。