[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
おまたせいたしました。
拍手ありがとうございます。
では下からどうぞー。
知世は沈痛な表情を隠さない。
自分を責めない主が却って黒鋼には重苦しく、それが新たに苛立ちへと繋がる。
そんな資格など、自分にはないと思いながら、ファイが目を覚まさない日々を送るのが苦痛で仕方が無かった。
命に別状はない、と聞いていても魔力を持っていない黒鋼には現状がどうなっているか知りようなどないのだから。
既に半月を超えた。
物言わぬ美しい人形は寝具の上に身を横たえられ、その体の時は未だに流れることはない。
いつ目を覚ますのかそればかりが気がかりで、暇さえあればファイが眠り続ける部屋へと黒鋼は通った。
血と汗に汚れた忍装束を脱ぐのももどかしい。
いつ目を覚ますのか、それとも、もう永遠に目覚めることはないのか。
どちらを想像しても、腹の奥が冷え血が凍りついていくような感覚に囚われる。
白い指先が力なく敷布の上に落ちていた。
この手を離したあの時、すでにこうして別たれることが決まっていたのか、と思う。
そんなはずはないのだ、と願いながら、胸にこみ上げるのは喪失への恐怖だった。
苦い思いを味わってはいても、忍としての感覚を鈍らせることはない。
物言わずあらわれた訪問者を振り向きもしないままで迎え入れる。
「何か用か」
「城の主は私です。用があろうが無かろうが、どこにいるかは自由」
さやさやと長い裳裾を引きずりながら、白鷺城の城主・天照はファイの眠る御帳台の脇に腰を下ろした。
その後ろには蘇摩が付き従っている。
天照は黒鋼の顔を見るや、すぐに呆れたような声をあげた。
「いつまでそんな見苦しい顔を晒しているのです。仮にも忍軍に身を置くのであれば身だしなみくらい人並みに整えなさい」
言われて気が付く。任務が終ればすぐにこの部屋へと向かっていたため、数日ほど髭を剃っていなかった。顎に手をあてると僅かに伸びた毛先がちくりと手を刺した。
「今はそれどころじゃ…」
「ファイさんが目を覚まされても、そんなむさ苦しい顔をしていたのでは捨てられて終わりですわね」
「…」
「貴方が、自らの身の回りを疎かにするほど思いつめたことを、この方はどう思うでしょう。増してその原因が自分であれば」
やんわりと、真綿で首を絞めるような真似をこの女帝はしない。真綿で来るんだ上で、さあ締めるぞ、という素振りだけして、後はばっさり切りつける。
月読とは違った回りくどさだが、一度搦め手に身構えたところを直接切り込まれるのは予想外に堪える。
そこに含まれているのが非難だけならばともかくも、その心情の切れ端ほどには黒鋼自身に対しての気遣いが存在することを知っていれば、尚更無碍にも出来ない。真正面から向けられる優しさや気配りを撥ね退けるほどに捻くれてはいないのだ。
大人しく、渋々といった形だけ取り繕って、黒鋼は蘇摩に「少し頼む」と声をかけて部屋を出た。
黒鋼が廊下を歩く足音が遠ざかるのを聞きながら、後に残された主従は顔を見合わせて小さく息をつく。
「魔物でないのだから結界は当然ファイさんには反応しませんわね」
「はい。姫様も、おそらく気づかれることのないよう魔力を極力使っていなかったのでは、と」
「この国に来られてから、もう随分経つとか…。そうなれば当然黒鋼のことも知っておりましょう」
天照の言葉に蘇摩の表情が曇る。
「噂話とは勝手なもの。けれど真実とは違っていても、それを口にする者が真実だと思っていれば…口から出る言の葉は本当にしか聞こえない」
「まことに…」
「それを知らなかった、とは言わせません。待つ人のありながら誤解を招くような振る舞いをしたのは黒鋼が軽率だったのです。責の一端は確かにあるのですよ」
荒々しい口調ではないものの、それは明らかにこの場にいない黒鋼の非を咎めている。蘇摩は思わず身を竦めた。
黒鋼の暮らしぶりをファイが知らないとは思えない。それを知ったとき、ファイがどんな風に思ったかを想像するのは容易い。容易いが故に、その深さは他の人間には計り知れない。
だからと言って、黒鋼ばかりを責めるのも酷な話だ。
「どうかあまりお責めになりませんよう」
「怒っているわけではありません。私が言葉でとやかく責めるよりも、黒鋼にはこの方が口をきかぬことの方が堪えるでしょう。…そちらの方が意味があるというもの」
「は…」
天照が眠り続けるファイに気遣わしげな眼差しを投げかける。
「早く、目覚めて、あの愚か者を叱りつけてやれば良いのですわ」
そうでなければ月読も蘇摩もいつまでも浮かぬ顔ばかり。そうやってわざと愚痴のように漏らした主に、蘇摩はひとときだけ穏やかな微笑を返した。
しん、と静まり返った日本国の夜。
ゆっくりとファイの瞳が開かれた。
細い月と淡い星の光だけが浮かぶ暗闇の中、その瞳が何を見つめているのか、今は誰にも分からない。
横たわったまま指先がすっと持ち上げられ、空中に青白い光がともされた。
白い指先に、魔力が集められ、呪を形作ろうとしていた。