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日本国忍軍徒然苦労話⑩
さらさらと衣擦れの音が夜陰に響く。
敷布の上に身を横たえ、日に焼けた男の肩に顔を埋める。
言葉は交わさないが、着衣を乱す手とは裏腹に互いの瞳は冷静に気配を読んでいた。
見られている。
それは以前からある忍の監視の視線ではない。
忍軍の端くれだけあって、彼らの気配の消し方やとけこみ方はもっと自然で緻密で秀逸だ。
ここ数日、それと比べればあまりにも稚拙すぎる気配が纏わりついている。その数は最低でも三。
夜半にはあまり感じられないとはいえ、複数もの人間にわざわざ付け狙われているということも良い気分がするものではない。
目的すら定かでない相手の思惑や、ちり、と肌を刺すような敵意の出所を探りながら、日常の生活をおくろうとすることは存外消耗するものだ。
だが、監視の忍軍とことを構える気もなさそうだ。
どこの誰とは今更知ろうというつもりはないが、ファイの監視のためにつけられた忍軍はそれと同時に彼の身を護る手段でもある。
監視対象がみすみす不審な命を落とし方をすることを許すとは思えない。
見張られていると同時に安全を与えられている。
それに甘えてファイは、警戒することを止めた。
「黒鋼」
今ひと時は目の前の男と肌を重ねることが何よりも大事なのだから。
「物語合わせをいたしますからファイさんも是非いらしてくださいませ」
姫巫女から遣いが来た。
二人だけの屋敷で暮らしていたころは家政を担っていたのだが、こうして城の部屋に仮住まいしていると忍の任務のある黒鋼とは違い、ファイは時間を持て余してしまう。やることがないのだ。そんな状況を気遣って知世は良くファイを招く。
それは内輪のささやかな演奏会であったり、目通りの許された商人の購う品物をみたり。要は日本国の文化や様式をファイが負担に思わぬように触れる機会を作ってくれているのだった。
姫巫女の身内、というと血縁の帝であるから公式に宴やら集いを行おうとすると自然と格式の高いものになりがちだ。
位のそぐわぬほどに価値観や思考の柔軟な姉妹は、上辺だけの遣り取りをあまり好んではいない。姉妹双方が国の至尊の座にありながら、望んでいるものは誰だって願うような慎ましい幸せなのをファイは知っている。
だから帝と姫巫女に目をかけられていてもファイはそれを殊更に誇示するつもりも必要もないと思っている。というよりもそもそもそんなことを考えたことが無いのだけれど。大多数の人間は己の内面の欲望を他者も当然持っているものと思い込み、それだけで敵対心や嫉妬心、危機感を勝手に築き上げるようで、つい先ごろファイは命を狙われる羽目に陥った。
知世の口利きでこうして城に身を寄せることも、公でない内輪の席であろうと賓客として扱われているのは、言われずとも知世や天照のそれとない周囲への牽制でもあろうと容易く想像できた。
申し訳ない、というと皆の好意をかえって無碍にすることになるので、ありがたくそれに甘える。
衣装には一家言どころか二言も三言も、それ以上にこだわりのある姫巫女に会いに行く時はファイも出来る範囲で凝った装いをする。
物語合わせの日の着物は、花色の濃淡を幾重にも重ね、上に羽織る衣はごく薄い桜色。ファイの金髪に合わせると印象が散漫になってしまいそうな装いだが、帯には黒に近い茶を合わせ、袖や襟元から赤と緑の衣を覗かせている。
珍しく非番と知世の招きが重なり、嫌がる黒鋼の手を取って白鷺城の最奥へと歩みを進めていた。
城主が姉妹ということもあって帝や姫巫女の私生活の空間でもある奥へと入るには、男の帝の御世よりも些か厳しい制限がある。
月読の忍である黒鋼が帯刀を許されていることを除いても、ファイが自由に出入りできることは極めて異例なのだ。
物語合わせは月読の気に入りの東屋で行われる。周囲に蓮を浮かべた池を張り巡らせた景色を、ファイも殊更に気に入っていた。
少し距離がある場所から黒鋼とファイの姿を認めた女中が仕切り戸を開けようとした。その時。
「囲め!」
少し高めの声を合図に黒鋼とファイの周囲を武装した男たちが取り囲む。白刃が日の光を受けてギラリと光る。
だが、女中がそれを見て悲鳴を上げるのとは裏腹に、二人とも平然としていた。
お粗末過ぎる。
敵意を読ませるのも稚拙であれば、忍軍でも比肩する者のない二人に白昼堂々刃を向ける行為は遠まわしな自殺にも等しい。
目的は分からないにせよ、敵意があるのは明白だが、ざっと見たところ碌な使い手がいなさそうなのにファイはため息を吐きたくなった。
現に何人かは悪鬼・黒鋼の名に恐れをなしてか腰が既に逃げている。
黒鋼も呆れているらしく銀竜を鞘から抜き払おうともしない。
そんな二人の反応をどう受け取ったのか、想像に難しくはないが、中でもひと際小柄な人間がずいっと前に出てきた。
「帝と月読様を惑わす奸賊め!お前の卑劣な罠に陥れられた父上に代わりお前を成敗してくれる!」
赤茶の瞳に義憤を称えた栗色の髪の、まだどう見ても少年としか呼べない相手に、黒鋼もファイもどう反応していいものやら分からなかった。
「…誰?」
「お前を殺そうとした阿呆のガキじゃねえのか?」
「アホとは何だ!羽林将軍と名高い父上を知らないのか!?」
刃を向けられているとは到底思えないのほほんとした二人のやり取りに、少年が憤って叫んだ。
「うりんしょーぐん?」
「軍事を取り仕切る人間だ。と言っても知世が無期限で謹慎を言い渡したから実質は失脚したがな」
「ああ、偉い人のお子さんなんだ」
初めましてー。そう言ってぺこりと頭を下げる。
ファイが頭を上げると同時に少年と目が合った。
二人の態度が腹に据えかねていたらしい少年は今にも何かを叫ぼうとしていたのだけれど、ファイの蒼い瞳と視線がかち合った瞬間、その動きの一切が止まった。
「?」
金縛りにあったように少年が動かない。
そんなに変な格好を自分はしていただろうかとファイはもう一度自分の格好を見直した。
あえて言うなら男物か女物か分からない作りなのだが、この衣の重ね方を知世はとても気に入って褒めてくれた。
黒鋼も訝しげに眉を寄せた。
そんな二人の前で、少年が口を開く。
「お前…身の安全と身分を僕が保証してやるから、僕の物になれ!」
ファイを睨みつけるようにひたと見据えて言い切った。
「……」
「……」
はあ、と黒鋼がファイの隣で大きなため息を吐いた。
幸せが逃げちゃうよーと思ったけれど、何となく脱力してしまって口にするのが面倒くさい。
ずかずかと黒鋼は大股で少年に近づき。
偉そうに胸を張る少年の頭に盛大な拳骨を落とした。
痛みに蹲る少年の回収を命じられて戸惑う忍と、厄介ごとが増えたことに頭が痛くなった忍と、新たな展開に胸を高鳴らせる一部の女忍。
白鷺城の悲喜こもごもを他所に、黒鋼とファイはさっさと姫巫女の元へと行ってしまった。
日本国忍軍徒然苦労話⑪
金銀や珊瑚に真珠。これを一反織り上げるのにどれほどの手間がかかったのかすら分からない艶やかな錦。蒔絵や螺鈿の細工も煌びやかな手箱。
いったい幾ら金を積み上げれば買うことが出来るのかはわからない。途方もない額であることだけはわかる。
全部、ファイへの貢物だった。
ファイの命を奪おうとして失脚した羽林将軍とやらの息子が贈ってくるのである。
「自分のものになれ」
というのはどうやら本気らしい。
最初は貰ういわれがない、と一々送り返していたのだが、相手は「ではもっと高価なものなら気に入るのか」とばかりに物品は段々派手で高価なものになってきた。
困って知世に相談したら、やはり困ったように笑って「受け取られては?」と返された。
はっきりと断ってもいるし、そもそも要らぬ、と言うものを勝手に贈りつけてくるのだし。受け取ったからといって相手の思いに答える義務はない。
「忍軍も持て余しているのです」
ぽつりと知世はそう言った。
ファイの命を狙った羽林将軍は聞けば職務にはそこそこ有能であったらしい。代々続いた高官の家系でもあり、白鷺城でもそれなりの発言力はあったという。
何代も続いた世襲の家系というと末葉になれば衰退していくことも珍しくはないが、それなりの地位を築いていたことからもけして無能な人物ではなかったのだろう。けれど、加齢とともに徐々に高慢になる態度が最近では問題視されていたのだともいう。
また、親の地位が地位であるだけにその息子の我侭に対して強く出られない、という弊害も一部の臣下たちから声が上がっていた。
ようは父親の配下でもある忍たちに対し、全くの私事でも平気で言いつけるのだ。公私の区別、というものが身についていない。末息子であるだけに親もつい甘やかして育ててしまったらしい。
失脚したからといって即座に影響力がなくなるわけでもないし、先祖代々の功績を思えばいずれ元の地位に復帰しないとも限らない。また、こうしてファイへ様々な物を届けていることから慮っても、公的な地位を離れてもかなりの財産を持っている家なのだろう。一般の忍では命令に容易く抗えるとも思えない。
事実、ファイの元に運び込まれるこれらの品物を持ってくるのは下位の忍たちだった。
ファイが受け取らずに返すと叱責は彼らにも及ぶらしい。
「はあ…」
他人が見れば羨むような宝物の山を前にファイから零れるのはため息ばかりだった。
「オレが欲しいものなんて、この世に一つだけなのになあ…」
ぽつりと呟くとそれは思った以上に寂しげに響いた。
「黒鋼、早く帰ってこないかなあ…」
ころりと板敷きの床に寝そべって、任務中の黒鋼の帰りをファイは待つ。